HISTORY


HISTORY-沿革-


大阪府の東南部に位置する河南町は、面積25.26平方キロメートル、人口15,773人で、東は葛城山脈が連なり、奈良県御所市と境をなし、南は千早赤阪村、西は富田林市、北は太子町に隣接している緑豊かなまちです。

私たちのスキー連盟は、1965年に当時河南町石川地区で活動していたスキークラブと、現スキー連盟の植田代表理事が発起人となり誕生しました。


当時はスキーというスポーツが社会的にようやく認知され出した時期でしたが、1956年の第7回冬季オリンピック大会において猪谷千春選手がスラロームで銀メダルを獲得したことを機に競技スキーが盛んになり、1963年に日本の蔵王で国際スキー教育会議長のシュテファン・クルッケンハウザー教授が初めてオーストリア基礎スキーの技術を披露したことで、競技スキーとともに基礎スキーが一般人にも普及してきた頃でした。

その後、全日本スキー連盟(SAJ)の機構も整備され、1969年に基礎スキーの規範である「SAJスキー教程」が初めて発刊されました。


当クラブも発足後、規約の制定や機構組織の整備を行い、1970年には会員も30数名を数え、シーズンには河南町教育委員会のスキー教室への協力や、主に信州方面のスキー場で技術の向上を目指しましたが、悩みは核たる指導者がいないことでした。模索の末、当時会長であった現植田代表理事の勤務先に、SAJ西日本ブロック技術指導員で山口県スキー連盟の中村長之会長に河南町スキークラブの顧問を依頼し、技術指導を受けました。その後は、年末から年始にかけて鳥取県大山スキー場で山口県スキー連盟の研修に参加することで基礎スキーの技術向上を目指し、1971年に奥野勲顧問と植田代表理事の2名が当クラブで初めてSAJ1級の検定に合格しました。


時には、技術向上を目指す者とスキーをレジャーとして楽しみたい者との間に亀裂が生じ、クラブ解散の危機が訪れたこともありました。紆余曲折の中から私たちはある方向性を見出し、大きく活動計画の見直しを行いました。それは、「生涯スポーツとしてのスキー」を目指すということでした。そしてその活動が現在の当スキー連盟を存続させている要因となっています。


スキーの技術は日進月歩で毎年SAJスキー教程もめまぐるしく変わっていく中、私たちも技術の追求を行いましたが、何よりも大切にしたのは、家族を中心とした子どもからお年寄りまで、また障害を持つ人も誰もが楽しめるスキークラブを運営することでした。この「ノーマライゼーションスキー」を活動の中心に据えることで、生涯スポーツとしてのスキーを実践してきました。


1974年からは河南町体育協会の会長にも顧問をお願いし、休止された河南町教育委員会のスキー教室に代わり、連盟主催の町民スキー教室や障害者のためのスキー教室、親子ファミリースキー教室も実施してきました。1984年には、永年の懸案であった大阪府スキー連盟にも登録することができ、1992年に当クラブ初のSAJ公認指導員(現三谷技術部長)も誕生しました。


1965年のクラブ発足以来50年間いろいろありましたが、2018年現在、最高齢者75歳から最年少3歳まで会員総数60名でSAJ指導員6名、1級取得者15名、2級取得者16名が含まれています。


河南町スキー連盟の歩みはこのようなものでありますが、何よりも私たちが自負していることは、これまで数十回スキー教室を開催し延べ3,500人のスキー愛好者に指導を行いましたが、骨折を含む重傷者は1人も出していないということであり、このことは将来に向けても守り続けたいと思っています。


歴代会長

植田 喜代一、藤村 昌昭、浅田 強、阪口 全彦、武本 吉彦、奥野 奈良三


1978年町民スキー教室(ハチ北高原)